火曜日, 5月 29, 2007

驚くべき日本のビジネスマナー(令俺吃惊的日本商业礼仪)

僕は最近読んでいる『日本企業への就職——ビジネスマナーと基本のことば』(ASK社)本に、驚くべきの記述がありました。例えば、P32退社について、こう書いてあります:
6時が終業時刻なら、6時までは仕事をきっちりしなさいと言うことです。6時に照準を合わせて帰り支度をするようではいけません。また、6時ぴったりに仕事のきりがつくというのも、現実にはまずあり得ません。きりのいいところで終わらせるのが当たり前ですから、多少の時間オーバーと言うのが普通です。
最近正在读一本叫做《日本企业就职——商业礼仪和基本语汇》的书。其中有的技术着实让俺惊讶。比如,这本书的第32页,关于下班,是这么说的:
如果6点下班,就是说要严格地工作到6点。那种照准6点下班提前做好准备的做法是不允许的。另外,恰好在6点钟准时工作做完了的事情,现实中可能性也很小。所以,当然要把手头的工作告一段落才能结束,所以,普遍的做法是多少延长一些工作时间。
こういうと、残業するのは当たり前ではないかと気付きました。でも、よく考えると、なるほど、そうするのは当たり前じゃないかと分かりました。これは日本のよさですよ。例えば、日本の市役所が6時までですが、6時ちょっと過ぎで行っても、役員の方は決していますよ。中国の場合、もし市役所は6時までなら、5時半くらい行ったら、誰もいないです。偶にいれば、『もう、そろそろ終わるから、明日来てね』と言ってしまうか。つまり、6時ぴったり帰るのは当たり前です(これは素晴らしい役員ですよ。普通は5時半くらい既に帰りましたよ)。
这不就是明摆着非要加班不可吗!?不过,仔细想想,确实应该这样。这是日本的优点。比如,日本的市政府是6点下班,6点稍微过一点儿去,工作人员肯定在那儿。中国的话,市政府6点下班,你5点半去,保准没人了。就是偶尔在那里,也会告诉你,马上就下班了,明天再来吧!也就是说6点刚到就走,是理所当然的事儿——这还是优秀的人民公仆呢。一般情况下,5点半早就走了。
もう一つの例ですが、僕よく行く図書館は19時までです。19時に図書館へ入ると、本を借りられます。だから、その係員達は19時30分過ぎても働きます。逆に、昔、僕が中国いた時、うちの大学の図書館、5時閉めるが、4時半行くと、入館が禁止された——終業の支度をしていました。
再举一个例子,我经常去的图书馆,19店闭馆,你19点去的话,肯定能结出书来。所以,图书馆员们19点30分以后还在工作。反之,以前俺在中国时候,俺们大学的图书馆,5点闭馆,你4点半去,图书馆就只许出不许进了——正在为准时闭馆做准备。
だから、日本の終業時間は、その時間まできっちり仕事する時間です。反面、中国の終業時間は帰る時間です。どっちが正しいですか。どっちがいいですか。分からないです。両方とも正しいかもしれないです。
所以啊,在日本,下班时间就是在那之前必须全身心工作的时间;而中国的下班时间就是回家的时间。到底哪个正确?哪个好?不知道,也许两个都正确吧。

日曜日, 5月 27, 2007

爵士音乐会

星期天到上野御徒町的saha酒吧,听了朋友的爵士音乐会。
这是一个很小的酒吧,在地下室一层。从墙上和房顶的吸音材料、吧台旁边的专业级调音台,以及几个硕大的JBL音箱来看,这是一家以音乐为主题的酒吧。
装潢倒是很有一点儿美国乡土风味,俺想,要不是朋友送票给俺,俺恐怕一辈子也不会跨进这样的地方吧。
音乐会由2个业余乐团演奏,听众大概有3、4十人的样子。大家边喝饮料边欣赏音乐,很高兴的样子。
俺也不懂啊(不过,爵士乐倒是能欣赏一点儿),要了一听啤酒,拿了几小袋花生米,坐在那里自斟自饮起来了。这啤酒味道不错啊!(俺对啤酒的鉴赏能力更高一些),仔细一看,原来是asahi新推出的。不错,比俺平时喝的发泡酒强多了。
不知不觉喝完了,花500日元,再来一听吧。看来,下次俺也得买几瓶真正的啤酒喝喝——在国内,喝酒还用算计嘛!?看来到这里生活水平确实下降了。
音乐会的收获:啤酒比发泡酒好喝
俺的同事,平时上班看起来厅严肃甚至有点儿呆板的小老头儿,没想到是乐队的架子鼓。那鼓点儿打得,真叫人佩服——连摇滚和重金属都能玩儿,和平时判若两人……
用手机拍了几张照片,效果太差。俺那同事,属于幕后英雄——坐在最拐角,拍不到。

金曜日, 5月 25, 2007

NHK特别节目《富人与农民工》:后记(5)——电话联系

打了n次电话,没人接,于是俺另辟蹊径,在网上查了内蒙古的电话黄页。有以下收获:
内蒙古自治区赤峰市克什克腾旗新开地乡红石砬村委会:0476-5190104。
内蒙古自治区赤峰市克什克腾旗新开地乡卫生院红石砬村卫生室:0476-5190013。
一一打过去问。村委会的电话始终没人接。石砬村卫生室倒是立刻就有人接了,可是说“不是”,就挂了。
何度も何度も電話したが、誰も出なかった。すると、僕は別の方法を考えた。インタネットで内モンゴルの電話イエローページで調べた。下記の情報を入手した:
内モンゴル自治区赤峰市克什克騰旗新开地郷红石砬村委会:0476-5190104。
内モンゴル自治区赤峰市克什克騰旗新开地郷衛生院红石砬村衛生室:0476-5190013。
一々電話をかけた。村委会はずっと誰も出なかった。衛生室の方はすぐうけたが、『違う。』と答え、切った。
过了一个钟头,又打电话过去,村委会依然没人接——村长大人不在这里办公,难道是又到哪里吃酒去了吗?
那个错号的卫生室,再次打过去,还是那个人,俺跟他说“我这是从日本打来的国际长途,您说您这里不是卫生室,那么您这个电话是不是红石砬村的?”
“不是。”
“哦,是不是新开地乡的?”,俺还怀一线希望。
“不是。”
“那,是不是克什克腾旗啊?”,俺绝望了。
“不是。”
咦?!
“那,是不是内蒙古赤峰市啊?”,俺就有这种打破砂锅的劲头儿。
“是。”
谢天谢地,总算“是”了一回。
“是这样,我在日本看到一个新开地乡红石砬村的张欣宇小朋友,手臂负伤了没办法做手术,想帮……”
“不是就是不是。”——又来了!
啪,电话挂断了……
晕倒!
一時間経って、再び電話した。村委会は依然として、誰も出なかった。村長様はなぜ仕事していないの?どこかへ酒を飲みに行ったの?
その間違った電話を再びした。また、同じ人が出た『こちらは日本からかかった国際電話です、先程も電話しましたが、申し訳ありません。先程、衛生室ではないと仰っていましたが、そうすると、その電話は红石砬村の電話ですか。』
『いいえ。』。
『あっ、そか。それでは新开地郷なのですか。』、少し希望を抱いた。
『いいえ。』
『なら、克什克騰旗でもない?』、絶望した。
『いいえ。』
『赤峰市では?』
『はい。』、やっと『ハイ』になったね。
『あ、ありがとう。ちょっと、背景を説明させていただきます。私は日本で、中国のことを紹介する番組を見て、赤峰市克什克騰旗新开地郷红石砬村、張欣宇と言う子供は怪我で、手術が必要ですが、我々は助・・・』
『間違ったと言ったのに・・・』
切れた。

電車で(电车上)

ゆうべ、弊社の歓迎会だった。僕は別の用事があって、謝って、速やかに帰宅した。
昨晚,公司的欢迎会。俺有别的事儿,抱歉,提前回家了。
上野で常磐線を乗って、混雑時間帯だから、ドアのそばに立っていた。隣は二人の外人がいた。
在上野站乘上常盘线,正是人多的时间,俺就站在门旁边儿。旁边儿站着两个外国人。
(ハハ、僕も外人だ、しかし、僕は一見で分からない外人だ。と言うのはその二人は一見で分かる外人だったーー欧米人だった。)。
俺也是外国人,不过,是那种一眼看不出来的外国人。我说的这两个外国人,是那种一眼就能看出来的外国人——欧美人。哈哈。
夫婦らしい、60代かなと思った。明らかに誰かと話しかけたいと見えたが、周囲の日本人がみんな黙っているのをおかしく見ているようだった。
好像是夫妇,大概60多岁。明显是想找人搭话,可是周围的日本人都静静地看书或者闭目养神。他们用奇怪的眼神看着。
再び、僕を見るとき、僕はiPodのイヤホンを外して、微笑で、『Hi! where are you from?』と声をかけた。
当那个老头儿再一次盯着俺的时候,俺摘掉了iPod的耳机,微笑着问他“你好!从哪儿来?”
『holand』と答えた。
“荷兰”他回答说。
『oh! a beautiful country.』
“荷兰?一个美丽的国家。”俺感叹道。
『Have you benn there?』
你去过哪里?
『No. never, but I read a lot from books...』
“没有啊,不过俺从书上读了不少……”
...
彼らの息子はヨーロッパのNECに就職している。去年、日本NECへ数ヶ月仕事をするとして、来日した。今まで8ヶ月経った。それで、ある日本人女性と結婚しようと決めた。
原来,他们的儿子为欧洲的NEC工作。去年短暂来日本工作,到现在才8个月。可是已经决定和一个日本人结婚。
彼らはholandから、お嫁さんの両親を会いに来て、今は柏へ行く。 あぁ~、いいなぁ~、Japanese girls are very nice. Congratulations!
因此他们从荷兰来到日本,来会亲家,来了。现在正要去柏,女孩的家里。啊,好啊,日本女孩好啊,温柔、贤惠。祝贺!
-------------
驚いたのは、僕は一生懸命日本語を勉強しているが、英語が忘れてしまった。今日、holand夫婦と話すと、話したいことがなかなかできなかった。
不过,有些吃惊的是,俺才毕业两年多点儿,现在平明学日语,英语忘了好多。和他们聊天的时候,很多想说的话竟然说不出来了……

木曜日, 5月 24, 2007

NHK特别节目《富人与农民工》:后记(4)——回复

一直关注着急流中国特别节目里面小欣宇的事情,不过,没有办法,也就渐渐淡忘了。昨天又有网友提起,并且说已经找到了张欣宇的下落。
ずっと、NHKスペシャル激流中国-富人と農民工番組に出た子供の張欣宇のことを関心を抱いている。しかし、助けてあげられないので、だんだん忘れてしまった。昨日、友達に聞かれた。張欣宇の連絡方法が分かったとか。
急忙打开网友提供的地址,原来是一个专门下载盗版CD的网站,哈哈。果然有帖子,说是要帮助张欣宇小朋友。而且提供了地址、电话。甚至说有一个日本留学生已经把张欣宇小朋友接到北京做了一次检查。欣慰!
急いで、くれたアドレスをアクセスした。海賊版CDのコミューニティでした。果たして、張欣宇を助けてあげようという記事があった。連絡方法も提供された。さらに、日本へ留学している張景昇という留学生はすでに張欣宇を北京へ連れていて、検査を受けた。
按照帖子上面提供的电话号码,打电话过去。谁知,传来的是“草原之夜”等歌声,随后就是“您拨打的电话无法接通……”。拨打多次,都是同样。不知道是提供的电话号码不对,还是恶作剧?
記事に書いてある電話番号でかけると、“草原の夜”という曲を歌って、“繋がれない”と言った。何度もかけたが、結局同じだった。電話番号が間違っている?または悪戯だったか?

月曜日, 5月 21, 2007

袖ヶ浦(sorry今日、日本語版はない(^^ )

星期天,全家开上车,直奔袖ヶ浦的鸵鸟王国。早上8点出发,路上车很多但是还算顺畅。从千叶市的穴川入口上了高速,到姉崎袖ヶ浦出口下来。由于开车第二年,正处于“高危”期间,所以,一路速度控制在80公里。不过,超车的时候,也达到120。
感觉俺这辆车还可以,老当益壮,跑起来还是轻松自如。不过,即使这两排量2.5升的汽车,高速跑起来也明显感到“动力不足”——以80公里的速度跑的时候,要想超车,油门反应还是感觉很迟钝。
一路无话,顺利到达袖ヶ浦的鸵鸟王国。

到了鸵鸟王国,买了食料,儿子高兴得不得了。急急忙忙就去喂鸵鸟了。

还有羊、鹿、鸡、鸭……据说还有两条大狼狗,可以让客人牵上狗去遛遛,过过瘾。可惜俺当时不知道。

看看,刚才还亲切地,慈祥地,充满爱心地喂那些鸵鸟,现在却做起了烤鸵鸟肉、鸵鸟肝、鸵鸟蛋。而且,那些血淋淋的鸵鸟肉,据说还可以生吃——反正俺是不敢。
俺当时就在想,鸵鸟要是有知,看着刚才还面容和善的人们,现在却嘴角滴着鲜血,美滋滋地大啃的鸵鸟肉(大快朵颐?),不知该如何诅咒这“鸟”间地狱啊。

吃了鸵鸟肉,还可以到后面的小溪抓小鱼,蝌蚪,采摘水芹。瞧,俺的收获不少吧。(回来看到照片,肚子又大了不少,唉。)

儿子玩儿得很高兴,抓了好几条小鱼,还有不少蝌蚪。甚至还有蜻蜓的幼虫——俺也是第一次见。还找到了一个很大的螺。满载而归。就是累得走不动了。。。
附:这次的地图

木曜日, 5月 17, 2007

チェスが大好き(迷上了国际象棋)

息子は最近、チェスに熱中している。パパと、ママと、パソコンと、自分自身と・・・。レベルもどんどん上がっている――驚いた。僕の僅かのチェス知識は始める時に十分だったが、今は、時々『そうではいけない、チェックしているのに・・・』『ハハ、チェックメートだよ』と指摘される。
儿子最近热衷下国际象棋。和爸爸下,和妈妈下,和计算机下,自己和自己下……。水平也不断提高,让俺吃惊。开始的时候,俺那点儿国际象棋知识绰绰有余。现在,经常是“你不能那样走,我这将着你呢。”“嘿嘿。将死了。”
仕方がない、自分はチェスという才能が欠けているので、本屋さんにチェス入門書を買ってあげた。囲碁、将棋の本が一杯あるが、チェスの本が僅か1種類だった。が、漫画でやさしい入門書だから、買った。
自己缺少下棋的才能,没办法。只好的书店买国际象棋的入门书。围棋,日本象棋的书有很多,偏偏国际象棋的书只有一种而已。不过,这是一本通过漫画来教入门的书,不错,买!

作文练习:責任問題

ある日系会社のことでした。あるプロジェクト、そもそも、納期は2007年3月でした。それで、計画より遅れて、やはり無理になりましたので、5月に延期しました。それで、 もう一度遅れが出て、8月へ調整しました・・・。計3回延期して、納期は約1 年遅れてしまって、赤字は1億台に上りました。しかし、いつ、完遂できるのか、現状は予測できません。会社からすれば、失敗の原因を調べ、教訓を学ばなければならないです。
某日系公司的事情。某工程,原来计划的完成日期是2007年3月。可是,明显比计划延迟了,没办法只好延期到5月。很快,5月份也没法实现了,于是延期到8月……。就这样,3次延期,晚了将近一年了。工程赤字都已经上了1亿日元了。可是,到底啥时候能完成,还是无法预测。作为公司来说,肯定需要调查原因,以便将来汲取教训。
担当者のリーダは失敗の原因について、レポートを書きました。その骨子は、まず、そもそも計画は不現実であること、これから、協力部門は積極でないこと、最後に、部下が能力不足であること。つまり、責任は、上司であり、関係部門であり、部下であり、自分は何もなかったです。それは、代表的なやり方だろうと思っています。
工程的领导写了这样的报告:第一,原来的计划本身就不合理。第二,协作部门不积极配合。第三,不下能力不足。也就是说,失败的原因是上司、协作部门和部下,跟自己没关系。我想这可能是典型的做法。
日本の会社は、問責制度がかなり強いと思いました。部長、社長が責任を取って、辞職することがたまにあります。これは日系会社のいい点だと認識しています。その反面、問責するあまり、責任を逃げたり、責任ありそうな仕事を丸投げたりすることが会社の文化になってしまいました。失敗しても評価されるチャレンジ精神を浸透する制度がないからには、会社を辞める覚悟で、リスクが高いテスクを受けて、一生懸命頑張ってやりぬくはずがないでしょう。これは、欧米のような責任を取って、部下の先頭に立って、指揮するリーダは少ない原因でしょうか。
日本公司都有问责制度,这是日本公司的强项。偶尔可以看到部长、总经理引咎辞职。可是,如果问责问过了头儿,变成只许成功不许失败,那么大家逃避责任,互相推诿也就成了公司文化的一部分。即便失败也能得到相应的评价,这样渗透了冒险精神的公司制度不建立,有谁会冒着辞职丢官的危险,接受风险高的任务呢?那样努力奋斗最后取得成功就没必要了。这也许就是日本公司里面少见欧美那样承担风险,临阵指挥的领导的原因吧。
累!练得俺中国话都不会说了……

水曜日, 5月 16, 2007

作文练习:残業問題(加班问题)

昨日、仕事が終わって、会社から出ると、なんと23時30分になりました。後ろの ビルを見ると、消灯したオフィスはほとんど有りませんでした。日本人はやはり頑張るものだと嘆息しました思いました
昨天,工作结束,从公司出来,已经11点半了。看看身后的大楼,熄灯的房间几乎没有。忍不住感叹,日本人真是工作狂啊。
電車を降りたら、1時過ぎでした。バスもなければ、駐輪場が既に閉められていたので、自転車も取り出せませんでした。仕方がないので、歩いて家に戻ると、1時40分回りました。晩御飯をそこそこ食べ、シャワーを浴びて、寝転んだのは2時過ぎでした。朝7時、目覚まし時計に起こされた時、頭が痛くて、体もだるかったです。なんと疲れたことか。
下了车,已经1点多了。巴士也没了,存车场也锁门了,自行车也拿不出来。只好走着回家。到家已经1点40了。晚饭也草草应付了事,冲个淋浴,躺下,都2点多了。早上7点被闹钟吵醒,脑袋也疼,身上也发酸,真TMD累啊(sorry)。
僕より遅く退社する方も大勢いるし、しかも、ほぼ毎日そのようだとか。更に、土、日曜出勤も度々、大変ですよ。その方達にすれば、家は寝るだけでのところ だろうか。
比俺下班晚的大有人在,而且几乎天天这样。再加上周六周日夜上班,真受不了。对这些人来说,家就只是睡觉的地方而已吧。
毎日、お父さんが子供と一緒に過す時間は、日本は、なんと世界末位最下位の25分です。これは平均値のことだですから、サラリーマンにすればだけとれば、もっと短いでしょう。仕事はただ生活の手段しかない、生活の全部ではありませんよ。
每天,父亲和儿子在一起的时间,日本竟然是世界最末位的,只有25分钟。而且这还是平均值,对于上班族来说,就更少了。工作只是生活的手段而已,而不是生活的全部哟。
仕事が多くて、時間内に終われなければ、仕方がないですが、問題なのは、残業だけで会社の業績を上げられ、利益を向上できるとの考え方と、残業時間で、業績を測る評価する人事制度です。
工作很多,上班时间无法完成而加班,那也是没办法的事情。日本的问题是,认为加班就能提升自己的业绩以及公司的盈利,并且还有根据加班时间来评价个人业绩的人事制度。

火曜日, 5月 15, 2007

日本要变成亚洲第二国家(日本はアジア第2国に)?

今朝、通勤の電車に隣の人は新聞を読んでいました。俺は『莫 邦富』という人が書いた《中国の躍進は続き、日本はアジア第2の国家となる》という本の広告を覗きました。副題が忘れましたが、日系企業が中国への進出はこの勢いを促進する云々らしいでした。モー・バンフ?どういう人?中国人らしく名前がついていますが。この本のタイトルからすれば、日本人の立場で日本の国益を考えているらしいです。
今天早上在电车上,旁边的人正在看报纸。一眼瞥见,上面的广告:莫 邦富写的《中国继续跃进、日本将成为亚洲第二国家》。副标题忘了,好像是说现在日本企业争先恐后往中国跑,正在加速这一趋势。莫 邦富?名字像中国人,可是丛书的名字看来,像是站在日本人的立场为日本考虑。(没有批判的意思,正常)
作者の立場はともかく、このタイトルからして、確かにそうだと思います。中国はどんどんアジアの中心になるのは違いないです。中国はアジア第1の国になるのは時間の問題だけだと思います。勿論、1人当たりGDPは中日間がかなり差が大きいですが、経済総量にかけては後数年に日本を越えて世界第2位になるのは違いないです。
先甭管作者的立场,从这个题目来看,确实如此。中国正在迅速成为亚中的中心,这一点相信没有错。中国成为亚洲第一的国家只是时间问题。不用说,人均GDP中国和日本还有较大差距,但是,就经济总量来说,中国几年后超越日本成为世界第二大经济体是没有疑问的。
でも、第一、第二という順番は意味がないでしょうか。世界第一になっても、人民の生活を確実に改善しないと、無駄じゃないか。(書き終わっていないうち、ちさりきさんのコメントが来まして、嬉しいです。)ちさりきさんがはおっしゃったとおり、環境、格差・・・問題などで、人民が苦しくなっていると思います。そして、いくら世界第1でも、無意味のではありませんか。⇒というと、アジア1とか、世界1とか、という言い方、考え方が愚かではないかと思っています。それをめどに争うのは更に馬鹿だと思います。中国は先進国への道はまだ遠い、とりあえず、現実的に頑張りなさい。
不过,所谓的第一、第二有什么意思呢?即使世界第一,人民的生活不改善,不也是白费嘛。(还没写完,ちさりき的评论就来了,真高兴),就像ちさりき说得那样,现在环境问题、贫富差距……,老百姓确实很痛苦。就这样的话,再怎么世界第一不也是毫无意义吗?⇒因此,所谓的亚洲第一、世界第一,这种说法,想法本身就很愚蠢。更进一步,争夺这个虚名那就更混蛋了。总之,中国成为先进国家的路还很长,首先脚踏实地。

金曜日, 5月 11, 2007

日本人は真面目(日本人就是认真)

日本語のトレーニングは、今日いよいよ第3回に迎えます。先生はとても熱心で、真面目な方です。毎回はせめて1時間くらい伸ばしてします。授業のスキル、効果はともかく、この精神だけで感動されました。
马上就要开始上第三次日语课了。这个老师是一个非常热情认真的人。每回至少都要延长一个小时左右。暂且不论讲授的技巧和效果,光是这认真劲儿,就让俺非常感动。

木曜日, 5月 10, 2007

ビジネスマナー(商业礼仪)

最近、ビジネスマナーを勉強させられた。いわゆるマナーにかけては僕は日本人同士に絶対に負けないと思った。が、勉強させてくれた、よかったと今の感想だ。
前段时间,俺被安排学习商业礼仪。所谓的商业礼仪,俺认为俺并不比任何一位日本人同事差。但是,现在想来,给我学习机会,真好。
今年2月のことだった、うちのリーダは常務取締役前、劉は基本的なマナーもないとか、僕の陰口をした。常務は、そうすると、勉強させようと指示したようだ。実は、僕は常務にリーダの意見を言ったので、気が小さいリーダはこの悪口を言って、僕を報復したかった。逆に,勉強のチャンスをくれたのはリーダの想定外だと思う。
那还是今年2月份的事情,俺们头儿在常务面前说俺的坏话,说俺不懂基本的商业礼仪。常务说,既然这样,就让他学习学习吧。其实,这是俺们头儿小心眼儿,报复俺原来在常务面前给他提意见。没想到反而给俺提供了学习机会,俺猜,这可出乎俺们头的意料之外。
勉強したが、僕知らないことはあまりない。一部の内容は、僕子供の時、よい習慣、よいマナーとして、おじいちゃん、おばあちゃんがよく教えてくれた。一部は共通な常識だ。そのほかは細かいことで、知っているが、実際に注意しなかったかもしれない。この部分を明確してくれたのは、収穫だ。
学习完了,其实根本没有俺不知道的新东西。一部分是俺们小时候,长辈经常教给俺们的所谓好习惯、和礼貌。另一部分是共通的常识。再剩下的,就是细枝末节可能平时不太注意的地方。——这也就是唯一的收获了。
マナーと言えば、実は僕のマナーは日本人同士の中にも、高いレベルだ自信がある。僕のマナーが悪いと陰口を言ったリーダもよくマナー違反する。例えば、彼はいつも貧乏ゆすりをする。しかも、音も出す。更に、打合せ(社外でも時々)、または、自分の机に座る時、よく靴を脱いで、足を遠く伸ばし出す。
僕の正対面に座っているこの59歳の方、よく、がー、がーと爪を切る。僕のお茶が彼の近く置いているので、飲まなくなる。場合にかかわらず、鼻くそをほじる。実は、マナーについて、誰でも完璧ではない。重要なのは寛大の心だと思う。特に、自分に対する優しい目で、他人に対する厳しい目で見るのはいけない。
说起礼仪,俺自信,俺在日本人中间也属于比较高水准的。就连说俺坏话的俺们头儿,也经常失礼。比如,他总是摇晃腿,而且还出声音呢。更有甚者,开会或者在自己的座位上,他总是把鞋脱掉,把臭脚丫子伸出老远(在跟别的公司的人开会的时候,也偶尔这样)。
还有坐在俺对面的这个59岁的老头儿,经常咔咔地剪他的指甲。俺的茶杯就放在他的旁边,弄得俺都没法喝。而且还经常不分场合挖鼻孔。其实,说起礼仪,谁都做不到完美。重要的是要有宽容的胸怀。特别要不得的就是,对己宽容,对人刻薄。

水曜日, 5月 09, 2007

日本語の勉強が始まった

5月1日から、日本語トレーニングが始まりました。週2回、昨日まで、2回やりました。
从5月1日,日语教学开始了。每周两次,到昨天为止,上了2次课了。
先生は非常に真面目なじいちゃんで、宿題とか、暗記文とかいろいろ出て来ましてー僕は小学生としているようです。実は、僕はそんな時間がないので、ちょっと困りました。しかし、このようにやると効果が期待できるので、嬉しいです。
老师是一个非常认真的老头儿,什么作业啊,背诵文啊,等等都拿出来了,——把俺当成小学生了。俺现在其实还是比较忙,稍微有点困难。不过,这样的话效果应该不错,比较高兴
昨日は、授業が終わった後、個人の前途についてちょっと雑談しました。先生は、君の能力、履歴によって、現在の職務なら、長く勤続つもりじゃないではない?と聞かれた。僕は、チャンスがあればもちろん掴むが、ただ、今は転職のつもりがないよと答えました。先生は、あんたは中国語、技術がもちろん、これから、日本語もどんどんできるようになってきた。これはあんたの資本だよ。君は何か欠けているかを分析して、それを意識して補うと将来は非常に輝いているよ・・・と励ましてくれました。
昨天上课结束以后,个人的前途什么的瞎聊了一阵。俺说,俺在这个公司里面混下去,没啥前途。老师也点头称是。于是,自然就转到了跳槽的话题上面。老师说,你这么好的条件,为什么不跳槽?俺说,至少目前还没有这个打算。老师说,你小子,中文,技术不用说,现在日语也很快会过关,这就是你小子的资本啊。你自己在分析一下那些地方不足,有意识地学习。你的将来将会是非常光明的啊……

月曜日, 5月 07, 2007

5月黄金周(后半)

5月3日到6日,是日本黄金周的后半。本来前半的3天,为了一个饺子party没时间出去,这次准备利用这4天的时间,跑一趟袖ヶ浦銚子的。
3号一大早儿,儿子非要先到楼下踢踢足球,只好陪着去了——俺这个专职陪练+司机。
踢了一会儿球,看看天气很热,而且,都9点多了,这时候再往袖ヶ浦跑,恐怕路上太挤,只好临时改变计划,先到手賀の丘去玩儿。
玩儿到中午,一向活蹦乱跳的儿子,突然说累,躺下不想动了。一摸头,烫手。赶紧往家里赶。
到家里一量体温,啊!38.6。吃了退烧药,赶紧让儿子睡觉。醒了以后,烧退下去了不少,可是总在38度左右徘徊。
第二天,本来以为好了呢,可谁知,早上就39度6了。赶紧找到“休日当番”医院——这是俺的大汽车第二次派上真正的用场——啊呀呀!医院里面人满为患,小儿科刚刚开始“营业”俺们就到了,可是还是排到了第25号。有的是一家兄弟几个齐上阵:一起发烧。俺们前面就有田中兄弟俩。爹还没来,就妈妈背一个抱一个,大変。看来老婆坚决只要一个还是很明智的呢。
等啊,等啊,等到中午才轮到俺们——39度多,烧了一上午。到医生那里去,医生听了听,肺没问题,肚子不疼,食欲还不错,——看了看嗓子,啊,嗓子那么红。没事儿啊,估计还得再烧两天,超过38度5就吃退烧药。但是,退烧药要间隔8个小时以上。别担心,没事儿啊,回去吧。也就是,就那么挺着。这要是在中国的话,早就输液了。
果然如医生所料,3号开始发烧,4号高烧,5号好转,6号恢复。4连休的最后一天,儿子好了。不过那里也没有去,全在家里のんびり了。
趁着没法出去,俺把二锅头消费了不少。又作了一次油条。还自制了不少豆浆。

火曜日, 5月 01, 2007

参议员来俺家

27日回到家,跟老婆说,网友聚会饺子party的地址改在了小田急線新百合丘车站,难得的机会,咱们一家赶紧也去参加吧!
老婆说,你自己组织的饺子party,也回音了,定下来29号来咱家。刚弄完这个聚会,30号还要收拾,还要把借的桌子、杯子还给人家。再跑到新百合丘车站去参加另一次饺子party,太累了。下次吧。
只好关掉填了一半儿的报名窗口,作罢。出去玩儿的计划也泡汤了。
28号,开上俺那辆爱车(如图),满大街转着买东西。面粉、案板、啤酒、绍兴花雕酒、肉馅、韭菜……。采买了一大圈儿,总算准备完毕。
第二天下午,太太们先来,帮忙包饺子。俺也是赤膊上阵,一会儿赶皮,一会儿和馅儿,忙了个不亦乐乎。
快包好了,主客才来。这位,是创价学会的副会长,据说是参议院的议员。老头儿70了,看着跟60岁似的,特精神。专门在家里亲自下厨,炒了一道中国家常的酸辣土豆丝拿过来。
有日本友人劝告俺,说创价学会的人虽然不错,可是,另一面儿也有点儿可怕,让俺和他们保持一定距离。语焉不详,俺也不知道到底是啥意思。不过看着这些人都很热情和亲切,俺也不觉得有什么啊。
日本的参议员,可能相当于中国的全国政协吧。要说这位参议员,可算是一个了不起的人物了,前两天温家宝来会见池田的时候,他也在座。而且,还和周恩来有过“几”面之缘呢。可是,一点儿架子都没有。经常可以看到他骑一辆破自行车在这周围转悠。应该不是坏人。
再说了,这个创价学会,一直是主张中日友好的宗教团体。俺虽然对宗教没啥兴趣,可是,和这些人交往交往,应该没啥问题吧。我又不参与政治啥的,跟他们也没有利害冲突。多个朋友总没啥害处吧?
要说俺两口子,本来就属于不懂礼数的,再加上俺那个淘气儿子,失利之处简直太多了。而且俺那点儿日语,越到紧要关头越不顶用……唉!不知道给人家留下了啥印象?——没给中国人丢人吧。
公司里面坐在俺对面的那个老头儿,还有一年就退休了。原来是部长,现在不知啥原因被撤掉了,转到了俺们部。特点就是没脑子。
记得上周五下班前,竟然对俺说,他的一个朋友到中国做生意,回来对他说,“中国女人很漂亮”。“中国有4千年的历史,就这样啊!?我看再过4千年也赶不上日本”……云云。
俺听了火往上撞,本想抡圆了给他一个耳光,可是忍住了,只对他笑了笑。心想,人家生意失败了,应该允许发发牢骚。可是,这些无知,狂妄的人多了,总归不是什么好事儿。下次得找机会教育教育他。